外套の裏は緋なりき明治の雪 青邨
山口青邨 青邨俳句365日より
句会後のお茶の席でのこと。松村武雄さんと私が青邨のこの句の話をしていると、隣の席から登四郎先生が、それ、誰の句?
葱ノート括るや学生妻とことこ 楸邨
加藤楸邨 蝸牛俳句文庫より
時代、という言葉は、ある世代を括ろうとする。
しかし、実際のところ、そうせざるを得ないのだ。
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この句に 2000/1/3 に付したメモを二つ
■ 昭和37年作。当時の楸邨は青山学院女子短大国文科教授。この学生妻は計算上戦中生まれということになる。しかし、それにしてもの「とことこ」。こういう笑いは、楸邨独特のように思う。
■ むかし、池袋の書店でのこと。大学新入生風の娘が母親に中也全集全巻を買わせているのに出会った。中也ってそういう詩人なんだ、と思ったものだった。ブックバンドに中也の詩集なんかちらつかせてる女なんて、××の文学部だぜ、って悪口を、友達が言っていたのもその頃のことだ。
山深く輪飾のある泉かな 登四郎
能村登四郎 句集『芒種』より
見続けて見飽きないものが三つある。
打ち寄せる波、降り続ける雪、泉の湧き出る処。
元日や手を洗ひをる夕ごころ 龍之介
芥川龍之介 句集『夕ごころ』より
「かげ」と読ませる文字には「影」や「陰」の他に、「光」もある。
しかし、「闇」に「かげ」はなく、強い光自体にも「かげ」はない。
そしてこの大年の夕霞かな 鮎太
渡辺鮎太 句集『鮎』より
仮に、昨日のことであろうとも、
遠い昔は、遠い昔なのでした。
鮟鱇のよだれの先がとまりけり 青畝
阿波野青畝 春陽堂俳句文庫より
道化師は、人を笑わせようとしてはいけません。
道化師は、生まれながらに道化師なのですから。